サムネイル画像: 作画引用・出典 キングダム (原 泰久) 集英社
キングダムから学ぶ人の心を掴み動かす方法!物語に散りばめられた名言・名シーンから現代社会に生きるための信念や心構えやビジネスに活かされるテクニックを心に刻もう。
キングダムがなぜここまで人を魅了するのか?
その一つに物語で登場する様々なシーンに、人の心を掴み動かす多くの名言が存在しているからではないだろうか。
キングダムを描く時代は中国が7つの国に分かれていた群雄割拠の春秋戦国時代。武力がものを言う乱世の時代だ。
国家を率いる王や、何十万もの軍を統率する大将軍が国の明暗を握る中で、どのように人心を掴み、動かすのか?
その言葉を通して、特に仕事で人をマネジメントをする立場にあるビジネスマンや、高いポジションへキャリアアップを成し遂げたいと考える人は、あらゆるヒントを得ることができるだろう。
某人事コンサルティング企業やベンチャーIT企業もキングダムを必携推薦図書にしているなど、現代日本を生き抜く知恵をキングダムの名言から学び取るため至高の名言をまとめてみた。
※物語のあらすじと共に紹介しているのでネタバレを含みます。
- 1. 「奴らの見た夢を現実のものに変えてやれよ!!」信(3巻@王弟反乱編)
- 2. 「勇猛と無謀は違う そこをはき違えると何も残さず早く死ぬ」縛虎申(7巻@信初陣(蛇甘平原)編)
- 3. 「あなたは誰よりも偉大な王になれます。」紫夏(8巻@政暗殺編)
- 4. 「仲間の力込みで、、お前の力だ。信、、、 」尾到(14巻@馬陽攻防編)
- 5. 「だってそれは この期に及んで一発逆転の好機が生まれたって話だろ! 」信(19巻@山陽攻略編)
- 6. 「私は”絶対に勝つ戦”以外興味はない」王翦(21巻@山陽攻略編)
- 7. 「そうじゃねェだろ 俺達はみんなてめェの足で立って戦ってんだ」信(22巻@山陽攻略編)
- 8. 「お前には、たまたまそこから引き上げる人間が周りにいなかっただけだ」信(27巻@合従軍侵攻編)
- 9. 「ここで脱出してその意志をつがねば 麃公将軍の死すら意味を失ってしまうのだぞ! 」壁(30巻@合従軍侵攻編)
- 10. 「民もバカじゃねェ。連中も乗せられてることに気づいてたんだろうなって」信(33巻@合従軍侵攻編)
- 11. 「大いなる勝利を手にし続けねば・・・中華に名を刻む大将軍には決して届かぬ」王賁(37巻@著雍攻略戦編)
- 12. 「飛信隊はどこの隊よりも心が潤ってんだ 」尾平(44巻@黒羊丘攻略編)
- 13. 「”平和”と”平等”を手にする”法治国家”だ」嬴政(45巻@鄴攻略編 前)
- 14. 「”法”とは願い!国家が国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!」李斯(46巻@鄴攻略編 前)
「奴らの見た夢を現実のものに変えてやれよ!!」信(3巻@王弟反乱編)
恨みにかられた山の民を味方につけた信の真っすぐな言葉が心を刺す
王弟成蟜(せいきょう)の反乱により咸陽を追われた嬴政。都を取り戻すための唯一の手段は屈強な山の民たちを味方につける他なく、山の民の王である楊端和(ようたんわ)へ協力の打診をしにいくのだった。
かつての山の民は当時の秦王「穆公(ぼくこう)」の分け隔てのない温情に報い、お互い協力し合っており、未来永劫に融和することを夢見ていた。
しかし、穆公の亡きあとは秦に迫害・虐殺され、山の民の子孫は秦に対し強い恨みをもっており、山の民のもとに赴いた嬴政や信は捕らわれてしまう。
秦への恨みを語り、信を処刑しようとした時に信が山の民に向けて放った言葉が状況を変える。
無念無念ってうっせェんだよ!!
秦国 信( 出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
大体一番の無念は夢見てたものが幻に終わったってことだろうが!!
・・・・・もしお前らが本気で死んだ奴らのことを想うのなら
奴らの見た夢を現実のものに変えてやれよ!!
信の放った真っすぐな正論に思わず嬴政も「お前にしては上出来だ」とつぶやく。
その後嬴政が楊端和に自分が中華を統べる最初の王となると志を語り、その想いを信じた楊端和が援軍となり咸陽を攻め、成蟜のクーデターを鎮圧することに成功するのだった。
映画キングダムでもハイライトシーンの一つとして描かれているこの場面。 先祖の無念に報復することが是と考えていた山の民に、先祖の夢を実現することこそが本当の報いであると説く信。それはキングダムの時代から2000年以上経った現代でも世界中で起こっている紛争やテロのような報復の連鎖に対して、本来目指すべき世界が何なのかを問いかけているようだ。
「勇猛と無謀は違う そこをはき違えると何も残さず早く死ぬ」縛虎申(7巻@信初陣(蛇甘平原)編)
信が初陣で出会った特攻の猛将縛虎申(ばくこしん)が信にかけた言葉。無謀のように見えた将が語った言葉だからこそ胸に刺さる
信の初陣で、信は麃公(ひょうこう)の配下の千人将であり、歩兵からは特攻好きのイカレた将校と噂される縛虎申の隊に所属することとなる。
魏軍の戦車の前に秦軍は多大な損害を受けるが、信の活躍もあり敵将宮元(きゅうげん)のいる丘までなんとか行きつく。
縛虎申は信と共に突撃し、黄離弦(こうりげん)の矢を受け致命傷を負いつつも宮元と刺し違え、討ち取ることに成功する。
しかし、制圧した丘へ敵軍1000人が奪還に向かっており、わずか10人程の縛虎申兵は丘を明け渡し退却を進言するも、信が兵士の犠牲と縛虎申の命と引き換えに奪った丘を守るためには命をいとわず戦うと意気込む。
そんな信へ 死に際の縛虎申はこう諭すのだった。
・・・・・フフ 小僧 信・・・・・・
秦国 縛虎申(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
いいか 信
勇猛と無謀は違う そこをはき違えると何も残さず早く死ぬ
皆と共に丘を降れ 命令だ
歩兵の命もいとわず突撃する無謀な将校に見える縛虎申だったが、勝利という目標達成のために命を懸ける場面と、引く場面をわきまえるこのできる知将でもあった。
戦地の混乱に動揺する歩兵に配慮し壁(へき)が退却を進言した際も「貴様は歩兵を助けるためにわざわざ戦地にきたのか?それとも魏軍に勝利するためにきたのか どっちだ!!」と檄を飛ばす場面や、多大な損害が起きている中でも麃公を信じ切る点、味方が多数死んだ時ほど無茶をすると評される点など、単なる無謀な将ではなく、勝利のために人を信じ・人の死を犠牲にせぬよう、最後は自らの命と引き換えに敵を倒すという強い信念を持った将であった。
初陣でこのような将校と共に戦った経験は、信の考え方に大きく影響を与えただろう。
臆病と無謀の中庸にあるのが勇猛である。臆病では大義を成せず、無謀では命を落とす。感情にかられた無策な行動は無謀であり、大義を成すためには戦略に裏付けられた勇敢な行動が必要であると学ばされ、その考え方は現代の経済社会にも通じる点が多いのではないだろうか。
「あなたは誰よりも偉大な王になれます。」紫夏(8巻@政暗殺編)
心を無くした政を蘇らせ、中華統一を目指す王としての信念の礎となった紫夏の言葉
政は王の血統の中でも位が低かったことから幼少期に母親と共に趙の人質となっていた。
趙はかつて秦に戦で敗北した際に捕虜を40万人生き埋めにされるという凄惨な出来事があり、その恨みから秦王の子である政は趙民からひどい虐待と迫害を受けていた。
そのため政は感情と感覚を失い、腕に矢が刺さっても痛みを感じないほどであった。
秦王が崩御したことにより政は趙から脱出を図るが、秦の後継者となった政を生かすまいと趙の刺客が追走する。
そこを守ったのが趙の闇商人である紫夏(しか)だった。人から受けた恩は次の誰かに受け継ぐよう父から教えられていた紫夏は命を懸けて政を守り、その姿を見て政は次第に失った心を取り戻していく。
紫夏は秦の国境目前で敵の刃に倒れ、絶命の間際に政へこう伝える。
あなたは生まれの不運により
趙国 闇商人 紫夏(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
およそ王族が歩まぬ道を歩まされた・・・
しかし 逆に言えばあなたほどつらい経験をして王になる者は他にいません
だから きっと
あなたは誰よりも偉大な王になれます
紫夏の最期の言葉が嬴政の中華統一への信念の礎となり、秦を率いる誇り高き王への成長を遂げたのだった。
自らつらい経験やどん底を味わったからこそ、あらゆる困難に立ち向うことができ、人の痛みが分かり、人の心を掴むことができる偉大な人間になることがかなう。苦難・困難が人を成長させることを教えてくれるかけがえのないメッセージだった。
「仲間の力込みで、、お前の力だ。信、、、 」尾到(14巻@馬陽攻防編)
強さは一人だけの力ではない。自分を信じて賛同し協力してくれる仲間たちの力が結集することで大いなる夢が近づく。
王騎を総大将とする秦軍は馬陽で趙軍を防衛するための激戦を繰り広げる。
信は百人将ながら飛信隊の仲間たちの支えもあり、敵将軍の馮忌を討ち取るなど大きな武功を収める。
そんな中、秦の宿営地に武神・龐煖が急襲し、多くの死傷者が出る。
龐煖に果敢に立ち向かう信であったが歯が立たず討たれる間際、飛信隊の仲間たちが信をかばい救出する。
そして初陣から信を支えてきた同郷の尾到が瀕死の信を背負い混乱を逃れ、敵襲が追走するも安全な場所へ避難し信は命拾いする。
逃走時に深手を負っていた尾到は信に「本気で将軍になれると思うか?」と問いかける。いざ戦場に出ると下僕が将軍になるのはまさに”夢”みたいな話で、どれだけ死地を乗り越えればいいのか?一度死んだら全員それで終わりだと。
そして尾到は続ける、
だけどお前は龐煖相手に生き残った
秦国 飛信隊 尾到(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
隊の皆が命をかけてお前を守ったからだ
命令でもないのに命がけで、、、
これはふつうのことじゃねェ、普通の隊長にはできねェよ信
だから思ったんだ。信は本当に将軍になれるってな。
名だたる大将軍達、、、あの王騎将軍でさえきっとこういう場面を繰り返して来たんだと思うぜ、、
仲間の力込みで、、お前の力だ。信、、、
尾到は今回の戦で多くの死者が出たが、俺たちは戦をしているんだから死人も出る、それで下を向く必要はない、みんなお前と一緒に夢を見てェと思ったんだ と信を励ます。
それでいいんだ、、、これからお前はそうやって
秦国 飛信隊 尾到
大勢の仲間の思いを乗せて天下の大将軍にかけ上がるんだ
絶対なれるぞ、、、信、、、
尾到はそう語ると眠りにつき、もう二度と起きることはなかった。
自分一人の力ではなく、同じ夢を追いかけることができるそれぞれの力をもった仲間たちの協力があるからこそ夢を実現できる。
そういった仲間を惹きつける魅力があることが信の最大の武器であることを伝えた尾到の最期の力強いメッセージだった。
自分一人ではできないことも、それを実現させてくれる多くの仲間の力があるから夢が現実のものとなる。組織戦で戦う現代ビジネスにおいても、大義を成すには人を魅了し、人を率い、人の力を借りることの重要性を教えてくれる尾到の尊い最期であった。
「だってそれは この期に及んで一発逆転の好機が生まれたって話だろ! 」信(19巻@山陽攻略編)
ピンチと捉えるかチャンスと捉えるかは自分次第。信の無邪気だが熱い言葉が老いてもまだ成長できることを教えてくれる。
秦が魏の山陽へ攻める際に総大将に任命された老将蒙驁(もうごう)の前に立ちはだかったのは、かつて一度も勝つことができなかった因縁の相手であり猛将の廉頗(れんぱ)だった。
蒙驁は戦の相手が廉頗と知り、心の中で動揺する。
蒙驁は戦の前夜に身分を隠して宿営地を徘徊する癖があり、そこでたまたま出会ったのが信であった。
信に「過去一度もケンカで勝てなかった相手と再び戦う。自分は老いたが、相手はむしろ猛々しい。深刻じゃろ?」と相談する。
すると信は悩む蒙驁を意に介さずこう言うのだった。
悩む意味が全っ然わからん
秦国 信(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
だってそれは この期に及んで一発逆転の好機が生まれたって話だろ!
ケンカってのは最後に立っていた奴の勝ちだ
次勝って勝ち逃げしてやれよ!そうすりゃじーさんの総勝ちだ!
また負けるかもと後ろ向きに考えるより、勝つ機会が訪れたチャンスだと前向きに捉えるべきだと説く信。
蒙驁はこの言葉をモチベーションに自信を持って戦い、廉頗の一騎打ちで実力を上回る力を発揮し、片腕を失うものの秦を勝利に導いた。
蒙驁が初めて廉頗に勝った瞬間であった。
現代社会でも負け癖がつくと、好機を危機と感じてしまうことがある。しかし、そういった状況であるからこそ地力を超える成長を遂げ、大きな成果を手に入れることができる。ピンチこそチャンスであることを教えてくれる場面だった。
「私は”絶対に勝つ戦”以外興味はない」王翦(21巻@山陽攻略編)
「やること」より「やらないこと」を選ぶ。知略に富んだ王翦の不戦のポリシーに勝率を高める原理原則を学ぶことができる
蒙驁の副将として山陽に参戦していた王翦(おうせん)は、廉頗の四天王のうち中華十弓の一人である姜燕(きょうえん)を迎え撃つこととなる。
王翦は壁に五千の兵を持たせ囮とし姜燕(きょうえん)を誘い込み、それに気づかず壁軍を取り囲んだ姜燕軍をさらに王翦軍が取り囲む。
しかし、それを先読みしていた廉頗自らが出現し王翦軍を包囲するのだった。
王翦を挑発する廉頗であったが、王翦は誘いに乗らず絶対に勝つ戦以外に興味はないと言い残し退却するのだった。
私は”絶対に勝つ戦”以外興味はない
秦 将軍 王翦(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
王翦は退却後、廉頗の急襲をさらに読んでいたかのように岸壁に築いていた天然の要塞に籠ってしまい、魏は手出しができなかった。
その後、蒙驁の本陣が廉頗に陥落されかけるが、桓騎が敵本陣を落としたのと王翦軍が無傷で残っていたことが決定打となり、最終的に廉頗は負けを認め和睦することとなった。
孫氏兵法の基本にもある勝てる算段のない戦はしないという原則。様々な戦略や戦術、経験則から勝利への成功実現性をいかに高められるかを追求し、敗北の可能性があれば”やらない”という考え方は現代のビジネスにも通じる部分が多いのではないだろうか。
「そうじゃねェだろ 俺達はみんなてめェの足で立って戦ってんだ」信(22巻@山陽攻略編)
人は自らの意思で、自らの力で生きている。信を苦しめた勇将輪虎へ送った言葉がアツすぎる。
魏 山陽攻略において信を最も苦しめた武将が戦いの天才輪虎(りんこ)であった。
戦争遺児であった輪虎は廉頗に拾われてその才覚を開花させ、「廉頗の剣」として戦場を巡ってきた。
幾度となく信を苦しめたが、最後の決戦で信に対し、自分が廉頗に拾われたのは”天が与えた運命”と語る輪虎。
天に寵愛される武将は一握り
魏 将軍 廉頗四天王 輪虎(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
その一人である廉頗に天が出会わせた剣がこの僕だってね
だからこんなところで負ける訳には・・・
しかし、 信はその考え方を正す言葉を投げかける。
下らねェ さっきから聞いてりゃ それじゃまるで全部が天任せみてェじゃねェかよ
秦国 信(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
そうじゃねェだろ 俺達はみんなてめェの足で立って戦ってんだ
今のお前だって廉頗の剣であるべく命がけで戦いまくって来た結果だろうが!
天命に生きたと自らを評する輪虎に、自分の意思・足で生きてきたんだろ?と正す信の言葉には、武将として凛とし強く気高い輪虎を敵ながら尊敬する想いが感じられる。
強力なライバルとの戦いが、信を心身ともにさらに強くするのであった。
人は自らの意思で選択し、自らの足で生きているんだという信のメッセージは、自分の人生を決めるのは運命でも他人でも環境でもなく、自分自身なんだという原理原則に気づかされるパワーのある名言だ。
「お前には、たまたまそこから引き上げる人間が周りにいなかっただけだ」信(27巻@合従軍侵攻編)
恨みから虐殺を繰り返してきた万極(まんごく)の死に際に送った信の言葉に胸を打たれる!
万極は過去長平の戦いによって秦軍六大将軍だった白起(はくき)により生き埋めという凄惨な殺された方をした40万人の捕虜の戦争遺児たちで構成され、秦への強烈な恨みから虐殺を繰り返してきた。
自らも戦争孤児である信は、乱世の時代では自分も含め誰しもが万極のようになってもおかしくない、ただそこから引き上げてくれるのは仲間の存在がいなかった万極は運が悪かったと憐れんで、もう楽になれと引導を渡す。
違う!! 俺だって身内を殺された。だがてめェみてェにはなってねェ
秦国 信(出典 キングダム (原 泰久) 集英社 )
お前には、たまたまそこから引き上げる人間が周りにいなかっただけだ
たまたま運が悪かっただけだ
お前は憐れな奴だ
こんな気色悪ィ怨念や亡霊共をしょいこまされちまって、
こいつらの重みでお前はぶっ壊れちまったんだよ
分かってんのか万極、一番呪われちまったのはお前自身なんだぞ!
てめェの痛みはしょってってやる だからお前はもう楽になりやがれ!!
討たれてもなお秦へ怨嗟する万極に、信は二度と万極が味わったような悲劇は起こさないと誓うのだった。
人生を生きている中で、何かをキッカケに人を恨み、その恨みが行動の動機になってしまうことは誰にでもあり得ることだ。
そんな時に、その経験すら糧にして前向きに生きれるのか、それとも恨み報復する道を選ぶのか、それは生きる環境や共に生きる仲間によって影響されることを伝える信の言葉に、人は自分の意思だけでなく周りの仲間の存在によって形成されることを学ぶことができる強いメッセージだ。
「ここで脱出してその意志をつがねば 麃公将軍の死すら意味を失ってしまうのだぞ! 」壁(30巻@合従軍侵攻編)
大切な人を失った怒りや悲しみを、前に向くための源泉に変えさせた名言
5ヶ国が結集し秦を襲った合従軍編。国門函谷関を守り抜いたものの、秦軍の隙をつき趙軍が秦の王都咸陽の喉元である蕞まで迫っていた。
それにいち早く気付いた麃公大将軍が防衛するも、その前に立ちはだかったのは圧倒的な強さを誇る武神 龐煖であった。
麃公は秦の危機を救うため、命を投げうって龐煖に挑み深手を負わせるものの最後は龐煖に敗れ絶命する。
信を後継者とした麃公は信へ自分の盾を渡し前進しろと命じる。
しかし麃公を慕い尊敬していた信は激情にかられ、自暴自棄で龐煖に突撃しようとするが、それを壁(へき)が諫める。それでも聞く耳をもたない信へ壁は激しく諭すのだった。
頭を冷やせ馬鹿者っ
秦国 壁(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
将軍が前進とおっしゃったのが聞こえなかったのか!!
盾を投げられた意味が分からなかったのか!!
ここで脱出してその意志をつがねば 咸陽を守らねば 麃公将軍の死すら意味を失ってしまうのだぞ!
壁の言葉に信は我に返り蕞の防衛へ向かい、嬴政と共に蕞を守り抜いたことで、咸陽の陥落を防ぐことに成功した。
共通の大義のために何かを犠牲にした先人の意思を受け継ぎ、それを無駄にせず、むしろ糧として全うするということの重要さを学べる名場面だった。感情にかられ、全うできなければ先人の犠牲も水泡に帰するということを肝に銘じなければならない。
「民もバカじゃねェ。連中も乗せられてることに気づいてたんだろうなって」信(33巻@合従軍侵攻編)
勝利の裏に、多くの民を犠牲をした王の複雑な想いを救った信のメッセージ
李牧(りぼく)の策により亡国の危機を迎えていた秦。しかし、最後の砦である蕞にはわずか5千人ほどの兵しかおらず、趙軍の軍力には到底敵う数ではなかった。
勝つ手段はたった一つ。蕞の一般民を兵士にすることだった。
戦場を知らない民に武器を取らせるため、秦王?政自ら?へ赴き民を鼓舞する
王自らの言葉に奮い立った民の力によって、激戦に耐えた蕞はとうとう勝利を掴むのだった。しかし、その代償として多くの民が命を落とすこととなる。
嬴政は計算の上で言葉巧みに民を奮い立たせたのは、強制的に戦わせたよりタチが悪いと複雑な心境を信に吐露する。
そんな嬴政に信がかけた言葉が嬴政の複雑な心のうちを救った。
…当たり前だ。そこで何も感じねェ奴は頭がどうかしてるし、そんな奴は絶対に人の上に立っちゃいけねェ。
秦国 信(作画引用・出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
たしかにお前にそういう計算があったのは本当だろうよ。だけどな、政。オレは途中から思ってたんだ。
民もバカじゃねェ。連中も乗せられてることに気づいてたんだろうなって。
気づいてなお、あんなに目ェ輝かして最後まで戦ってくれたんだと思うぜ
犠牲を払ってでも王と共に国を守ることを民は自らの意思で選んだのだという信の言葉を受け、嬴政は民への感謝の念を改めるのだった。
人を率いるリーダーが人の心を掴み、動かすために放った自らの言葉に葛藤することはあるだろう。そんな時、傍らにいてくれる人の言葉がリーダーの心を救い、さらに強固な組織になることを示している名場面だ。
「大いなる勝利を手にし続けねば・・・中華に名を刻む大将軍には決して届かぬ」王賁(37巻@著雍攻略戦編)
リスクを取らなければ大きな成果は得られない!家柄の誇りにかけ大将軍になることを責務とする王賁の気高いメッセージ
魏の要所である著雍の攻略に立ちはだかる魏七龍。その中でも中華一の槍術を操る紫伯(しはく)に王賁(おうほん)が挑む。
緒戦で圧倒的な紫伯の槍の前に歯が立たない王賁。しかし、王賁は紫伯の槍術を見切るために深手を負いながらもあえて長く戦う。
その後、再び相まみえる王賁と紫伯。紫伯の圧倒的な強さに王賁はまたしても劣勢となり、命を危ぶむ部下たちは退却を進言するが、王賁はこう告げる。
後退などしている暇はない 安い戦でも足りぬ・・・
秦国 王賁(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
大いなる勝利を手にし続けねば・・・中華に名を刻む大将軍には決して届かぬ
”夢”だ何だと浮ついた話では無い これは・・・”王”家の正統な跡継ぎとしてのこの王賁の責務だ
王翦の息子であり、秦国の主たる諸侯である”王”家の正統な末裔である王賁は自らが中華の大将軍に名前を刻むことを血族の責務とし、リスクを負わなければその目標は達成できないとし戦い続け、結果紫伯の撃墜に成功する。
そこには単なる精神論だけではなく、前回の戦いで紫伯の槍を長く受け続けた結果、紫伯の槍術の型と、生に執着しない紫伯の精神性を分析したことで勝機を確信し、戦略的に勝利したのであった。
大きな成果を得るためには、周りに止められるくらいのリスクを負う必要がある。しかし、精神論や短絡的にただ挑むのではなく、成果のための分析や対策を講じる必要性も同時学べる印象的な場面だ。
「飛信隊はどこの隊よりも心が潤ってんだ 」尾平(44巻@黒羊丘攻略編)
略奪や凌辱を正当化せず、命を懸ける動機が共に戦う仲間との心の潤いだと言い切る尾平(びへい)の言葉に胸を打たれる
趙の要所である黒羊丘攻略の総大将となった桓騎(かんき)。桓騎軍の兵は元盗賊などの荒くれ者ばかりで、戦地で侵攻した民衆へ略奪や凌辱を繰り返し、戦争に命を張っている見返りとして当然だと正当化していた。
桓騎が敵国の勇将紀彗(きすい)を追い詰めるため戦地の村人を虐殺したことで飛信隊は桓騎軍と衝突することになる。
それを止めに入った尾平だったが、桓騎兵にそそのかされて民間人の宝石を盗んでいたことが露呈し信は激怒。尾平を飛信隊から追放してしまう。
尾平は発足からずっと共に戦ってきたのにこんな仕打ちにあわせるなんてと信を恨むが、桓騎兵から信のようなキレイごとだけの人間の下で命を張るのはバカげていると揶揄されたことで、お前たちのように楽な道に流されているクソ野郎たちと信は違うと反論したことで暴行され気を失う。
目覚めると傍らに信がおり、自分の大将軍像に、飛信隊の理想に、皆を付き合わせ、色々と我慢させて申し訳ないと尾平に謝罪する。
尾平はその言葉を聞いて、信へこう返すのだった。
一つも悪かねェよバカヤロォ ばっバカのくせに変な気回してんじゃねェよ
秦国 飛信隊 尾平(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
みんなお前が好きでお前のわがままに付き合ってんだ
全部分かっててお前についてきてんだ お前と一緒に 戦いてェって
それに信 実際のところ我慢なんてねェぞ・・・桓騎軍に入ってて分かったんだ
飛信隊と桓騎軍の決定的な違いに!
渇いてねェんだ 心が渇いてねェから略奪も凌辱も必要ねェんだ
そんなことやんなくても 飛信隊はどこの隊よりも心が潤ってんだ
お前と一緒に戦ってるから俺たちはっ・・・
信の理念の共感し、自らの自由選択の中で信や仲間と共に戦い、その時間が何よりかけがえのない行動の源泉となっている。
だから、強制されているわけでもない、戦いの見返りに略奪や凌辱など必要ない。そんな尾平の言葉は、気高く潔く戦うことの美徳を感じさせられる。
一方で、軍律により無法行為は本来咎められるのだが兵力のためには黙認されている事実と、結果的に桓騎の策は秦軍の損害を想定より大幅に減少させたという現実もあった。
国家を守るための行動の対価・動機付けを如何にするかという事を考えさせられる出来事。?政の掲げる中華統一という大義のために黒羊丘を攻め、結果敵国の民衆は虐殺され秦の損耗は最小化された。
大義のために起きた悪徳をどう捉えるかという倫理感のジレンマに、目的を成し遂げる難しさを感じさせられる出来事と言える。
「”平和”と”平等”を手にする”法治国家”だ」嬴政(45巻@鄴攻略編 前)
力でも財でもなく、世界を平和に平等に治めるのは法であるという力強い嬴政のメッセージ
大冠の儀(成人の儀式)を経て呂不韋の権力を失墜させたことで本格的に嬴政の中華統一の戦いが始まった。
そんな中、名臣蔡沢の外交力により斉王が咸陽に訪れる。斉王は嬴政へ中華統一を成してどう治世するのかを問う。秦と敵対するのか、協力するのか、その答え次第であると。
その問いに嬴政は斉王へ真っすぐこう答えるのだった。
法だ
秦国 大王 嬴政(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
五百年の争乱の末に“平和”と”平等”を手にする”法治国家”だ
“法”に民を治めさせる
“法”の下には元斉人も秦人も関係ない
王侯貴族も百姓も関係なく 皆等しく平等とする!
王ですら法の下に統治される法治国家を樹立することこそが、500年以上続く乱世を終わらせ、平和をもたらす唯一の方法であると嬴政は説く。
それを聞いて斉王は、秦が他国を平定できた暁には斉国を無条件で秦に明け渡すことを約束するのだった。
嬴政は武でもなく財でもなく、言葉だけで1国を降伏させたのだった。
法治は現代では当たり前の概念だが、治世の拠り所を何にするかという点には様々な思想があった。国家単位でなくても組織において人が健全に発展していく動機をどうするのかは命題である。
武力・恐怖・金・徳、様々な手段が考えられるが?政の出した答えは”法”であった。この考え方は現代の組織運営にも共通して通ずる概念ではなかろうか。
「”法”とは願い!国家が国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!」李斯(46巻@鄴攻略編 前)
「法とは何か?」という命題に対する明確な答え。法治で成り立つ現代社会にも通じる原理原則を李斯が語る名シーン
蔡沢の名外交により斉の王と会談の場を持ち、六国制覇の暁には法を支配者とした国家を作ると宣言する嬴政に事実上の降伏を密約した斉王。
会談に同席した左丞相の昌文君(しょうぶんくん)は嬴政の理想を知るものの、法による治世された世界が想像できず思い悩む。
そこで呂不韋の元側近であり秦国の「法の番人」の異名を持っていた李斯(りし)に教えを乞いにいく。
李斯は毐国の乱の際に嬴政を陥れようとした罪人として投獄されていたが、それにも関わらずその豊富な知見を頼りに昌文君は李斯を訪ねるのだった。
嬴政が中華統一後の法治国家を樹立するという理想を知った李斯は昌文君に六国の法治の困難を説く。
中華を統一できたと仮定し、そこで単純に国民が増えたという認識で法作りに入ると再失敗に終わる。
なぜか分かるか?
文化形成が違うからだ。六国それぞれに文字も違えば秤も違う
秦国 李斯(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
貨幣も違えば思想も違う
本当の法治国家にするのなら”法”と”思想”の戦い、”法家”と”儒家”の戦いが勃発する
とにかく中華を治める法とはこれ程にバラバラの異文化を持つ六国の人間たちを一つにするものでなければならぬ
そして、「そもそも”法”とは何だ?」と昌文君に問う。
法とは刑罰をもって人を律し治めるものだと返す昌文君に李斯はこう正す
馬鹿な!
秦国 李斯(出典 キングダム (原 泰久) 集英社)
刑罰とは手段であって法の正体ではない!
“法”とは願い!
国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!
統一後 この全中華の人間にどうあって欲しいのか
どう生きて欲しいのか
どこに向かって欲しいのか
それをしっかり思い描け!
その言葉に衝撃を受けた昌文君は罪人であった李斯を統一後の立法の拠り所とするため現場に復帰させるのだった。
結果、史実では李斯は中華統一後に秦国の丞相まで登り詰めることとなる。
異なる文化により形成された広大な中華の人民を同じの法の下に等しく治めるための立法。その根底には国家が国民に対しどうあってほしいかという願いがあると説く李斯の言葉は現代の立法・政治に通じる。
そういった概念が2000年以上前の中国には存在していたと考えると感慨深い。
以上、キングダム至宝の名言集でした。これからのストーリーで様々な名言・名シーンに出会えることでしょう。これからの物語に期待です。